大阪高等裁判所 昭和39年(う)1309号 判決 1965年6月08日
被告人 中出順一 外三名
主文
原判決中、被告人中出順一、同杉田忠生、同的場恒夫に関する部分を破棄する。
被告人中出順一を懲役七年に、被告人杉田忠生を懲役八月に、被告人的場恒夫を懲役五月に処する。
原審の未決勾留日数中、被告人中出順一に対し一一〇日を、被告人杉田忠生に対し四〇日を、被告人的場恒夫に対し二〇日を、右各本刑に算入する。
被告人杉田寛一に関する検察官の控訴を棄却する。
理由
本件各控訴の趣意は、和歌山地方検察庁検察官検事中道武次および被告人的場恒夫の弁護人黒川英夫のそれぞれ作成した控訴趣意書記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。
検察官の控訴趣意について。
論旨は、原判決が、(一)被告人中出順一は、福田組組員であるが、昭和三八年一〇月一二日午後一時四五分ごろ、和歌山市字須三八一番地福田組事務所横附近路上において、元福田組組員岩橋英夫(当三一年)と同組組長福田利正が競輪のみ行為の払戻金のことで口論し、喧嘩となるや、被告人は、殺意をもつて、所携の刺身包丁で右岩橋英夫の右下腹部を突き刺し、よつて、同人を、同日午後七時ごろ同市和歌浦三七七番地の自宅において、右下腹部刺傷による右腎切損腹腔内出血により出血死させ、もつて、殺害し、(二)被告人杉田忠生は、福田組組員であるが、同日午後一時四五分ごろ、前記被告人中出順一が岩橋英夫の右下腹部を刺身包丁で突き刺し、殺害した事件につき、真実は、自己が犯人でないのに、同日和歌山市西警察署において、同署司法警察員に対して、自己が岩橋を刺殺した犯人である旨申し立て、もつて、右犯人中出順一を隠避し、(三)被告人杉田寛一は、前記中出順一が岩橋を刺殺した事件につき、同日午後六時過ぎごろ、同市字須三八三番地の自宅において、長男の忠生に対し、「お前出よ」と岩橋を刺殺した犯人として自首するよう申し向け、同人をして、同日同市西警察署において、同署司法警察員に対し、自己が右殺人事件の犯人である旨申述させ、もつて、右忠生の犯人隠避を教唆したものである、との公訴事実に対し、被告人中出順一に対しては、犯罪の証明不十分で、岩橋刺殺の真犯人とは認め難いとして無罪を言い渡し、被告人杉田忠生に対しては、被告人中出順一を岩橋刺殺の犯人と認め難く、他に岩橋を刺殺した特定の犯人を隠避したという事実も証拠上認められないので、同被告人の犯人隠避罪も成立するに由なく、また、被告人杉田忠生に対する犯人隠避罪が認められない以上、被告人杉田寛一に対する犯人隠避教唆罪も成立しないとして、それぞれ無罪を言い渡したのは、事実を誤認したものであると主張する。
これに対する当裁判所の判断は、次のとおりである。(以下、年の記載を省略したものは、すべて昭和三八年を意味する。)
(被告人中出順一関係)
被告人中出は、本件殺人事件発生当日の一〇月一二日、参考人として警察官の取調を受け、その後、共謀による殺人の被疑事実により、同月一四日逮捕、ついで同月一七日勾留され、同月三〇日後記の自白をするまで、警察官や検察官の取調に対し、本件犯行を否認し「組長福田利正が岩橋英夫に刺されようとしていたので、同人を羽がい締めにしたところを、被告人杉田忠生が岩橋の右横腹を包丁で突き刺した」と述べ、取調の当初本件犯行を自供していた被告人杉田忠生の供述にそうような供述をしていたが、一〇月二八日被告人杉田忠生が右自供を虚偽であると取り消した後、同月三〇日にいたり、初めて警察官に対し本件犯行を自白し、翌三一日検察官に対しても、ほぼ同様の供述をし、一一月二日司法警察員が行なつた実況見分の際、本件現場において、同様に犯行当時の状況を指示説明し、一二月九日原審第一回公判において、本件公訴事実に対し「私は、その時脅すため刺身包丁を差し出したところ、相手がかかつてきましたので刺す結果になつてしまいましたが、相手を殺そうと思い刺したのではありません。」と供述し、被害者を刺身包丁で刺した事実を争わず、昭和三九年一月一三日原審第三回公判において、本件犯行当時と前後の模様、警察官の取調状況および自白するにいたつたいきさつなどについて供述をしたが、同月二七日第四回公判において、従来の自供をくつがえし、以来本件犯行を否認していることは、記録に徴し明白である。
原判決は、被告人中出が、右第四回公判以後の供述において、自己の犯行を否認するばかりで、真犯人が誰かということについては口をとざして語らず、その供述がすべて真実を述べているとは考えられないとしながらも、同被告人が一〇月三〇日警察官に初めて本件犯行を自白するようになつたいきさつ、動機などについての同被告人の原審第四回公判における供述、すなわち、「自分は、一〇月三〇日夜八時ごろから一一時ごろまで岩出署で三人の警察官から調べられた。その時、警察官は、『今までの話はどうもおかしい。話はいつこも合わん。もうわしの頭には誰がやつたかわかつているんだ。いつまで隠していてもだめだ。』といわれ、それから調べられた。自分は、初めは、やつていません、やつていませんでいい通したけれども、信用してくれなかつた。その時、三人の警察官のうち誰かが『組全体がつぶれるんだ。』といわれた。それで、もういつさい自分がやつたといつた。自分は、組の人間だから組のことが一番大事に考える。一番大事な組のため自分で代れるものなら、全体のために犠牲になるという気持で決心をした。しかし、自分は決して岩橋の腹を刺身包丁で突いたことはない。自分は、的場から刺身包丁を取り、その時、丁度岩橋が組長にかかつて行こうとしたので、これはいかんと思つて岩橋に飛びかかつて行こうとした時、岩橋にみけんを切られた。自分は、シヤッターの所へ自分の身体がぶつかり、そしてひとまず映画館の方へ下がり、更に岩橋の後から羽がい締めして電車通まで出した。自分は、一〇月三〇日夜の警察官に自白した時に泣いた。警察官から『何故泣くのか』と聞かれ、『涙を出したのはやさしく言つてくれたので、うれし泣きの涙である。』と答えたことも事実である。しかし、これは本当のことではない。自分は、今まで言つたことを信じてもらえなかつたので、組のために自白したが、これでいいんだと思つて泣けてきたのである。自分は、罪を犯してざんげして泣いたのではない。自分は、谷底から落されるような気持から涙が出た。」との供述には、たやすく排斥し難いものがあるとし、更に、被告人中出の検察官に対する一〇月三一日付供述調書や原審第一回および第三回公判における供述についても、警察官に対する前記の自白と同様、同被告人が福田組の犠牲になるつもりで事実を認めたとすれば、あえて異とするに足りないとして、同被告人の自白の信用性を疑うのである。
しかし、一〇月三〇日夜岩出署で被告人中出を取り調べた警察官である木村温雄、山田正昭は、被告人中出が指摘したようなことを言つて同被告人を取り調べたことはないと供述し(原審第四回公判調書中証人山田正昭、同第五回公判調書中証人木村温雄の各供述記載、証人木村温雄、同山田正昭の当審各証人尋問調書)、殊に、証人木村温雄が、本件はやくざ同志の喧嘩で一人が殺された事件であつて、組員全部を検挙するほどの事件ではないから、組がつぶれると言う必要もない、犯人が被告人中出であろうとなかろうと、組の存亡にはなんら関係がないと述べている(同証人の当審証人尋問調書添付速記録二七丁)のは、一応首肯できる供述である。右の供述に比較すると、警察官から組全体がつぶれると言われ、組のため犠牲になる気持で虚偽の自白をしたという被告人中出の供述には、いかにも不自然、不合理さを感ぜざるをえないのみならず、同被告人は、取調警察官三名のうちの誰かに前記のようなことを言われたと供述しながら、証人木村温雄、同山田正昭との対質において、「三人の警察官のうち誰が言つたか」との裁判長の問に対し、はつきり覚えていない旨あいまいな供述をしている(証人木村温雄の当審証人尋問調書添付速記録五一丁以下、証人山田正昭の当審証人尋問調書添付速記録二一丁)点に徴しても、「組全体がつぶれるんだ。」という警察官の言葉が動機となつて組のため虚偽の自白をした旨の被告人中出の供述にはたやすく信用できないものがあると考えられる。更に、同被告人が一〇月三〇日警察官に自白した際泣いたわけを尋ねられ「涙を出したのはやさしく言つてくれたので、うれし泣きの涙である。」と警察官に答えたことについて、同被告人は原審第四回公判において、前記のように、右事実を認めながら、今まで言つたことを信じてもらえなかつたので、組のために自白したが、これでいいんだと思つて泣けてきたのであるとか、自分が谷底へ落されるような気持から涙が出たと供述しているけれども、同被告人が真実かような気持から泣いたのであれば、何を好んで本心とは全く違つた気持をわざわざ取調警察官に述べたのであるのか理解しがたい。これに対し、被告人中出が、当初本件犯行を否認していたのに後に自白するにいたつたいきさつについて、同被告人は、一〇月三一日検察官に対し、「昨日西署の課長さんらが岩出署にきて『今までのことは御破算にして話してみい。』と言われました。ワイも実はいつまでもこんなことを言つていても人に迷惑をかけるだけであつて、わがやつたことはわが責任をとるべきだ。いつかは本当のことを話さなければならんと思つていたやさきでもありましたので、課長さんらの言葉を聞いていよいよ本当のことがわかつたんだなあと思い、ありのままを白状しました。忠生や他の者がどう言つているとか、こう言つているとかは何も聞いておらず、現在でも知りません。白状した後は気持がすつきりしました。」と供述し(同被告人の検察官に対する一〇月三一日付供述調書四五九丁以下)、原審第三回公判において、「自分の気持としてはなんか落ちつかんような気持でした。そして、もういつそほんとうのことを言おうと思いまして言いました。」と供述し(原審第三回公判調書中被告人中出の供述記載五一七丁裏)、否認当時の不安焦燥感からいつそのこと真実を述べようと決意してついに自白したことや自白の後気持がすつきりしたことを供述しているのであり、しかも、同被告人の原審公判廷における右の供述が任意にされたものであることはもちろん、検察官に対する前記供述も被告人中出の方からすすんで任意に述べたことが明らか(証人山名隆輝の当審証人尋問調書、なお、右証人尋問の際、被告人中出も押しつけられた供述ではないことを肯定している。右調書添付速記録一六丁)であつて、その供述の方が、自白の動機および自白当時の心境を卒直に述べたものとして信用できると考えられる。右のように、原判決の摘示した被告人中出の原審第四回公判廷における供述には、不自然、不合理と思われる点があつて、信用できないと認められるのに、原判決が右供述をたやすく排斥し難いものがあるとし、同被告人の、警察、検察庁および原審第三回公判までの各自白は福田組のため犠牲になるつもりでしたという前記供述を信用し、同被告人の自白の信用性を否定したのは、合理的な根拠を欠いでいるといわなければならない。
次に、原判決は、本件犯行現場には福田組組員その他の目撃者がいるのに、誰一人として被告人中出の自白と同旨の供述をしているものがないことをもつて、同被告人の自白の真実性につき重大な疑念を抱かせる一因があると判断している。なるほど、被告人中出が被害者岩橋英夫を刺したところを目撃したというような事件の核心に触れた供述をしているものがいないことは、原判決の指摘するとおりである。しかし、本件は、福田組と称する暴力組織に属する者らと元福田組員であつた被害者との間の喧嘩から生じた殺人事件であり、かような組織につながりをもつ事件については、原判決も指摘しているように、組員同志が互に不利なことを隠し、目撃者も掛り合いを嫌い、又は後難の及ぶことをおそれて、卒直な供述をできるだけ避けようとする態度がうかがわれるのであるから、被告人中出の犯行を目撃した事実を供述する者がいないからといつて、直ちに同被告人の自白の信用性に疑をいれるのは相当でない。本件において、福田組組長福田利正およびその組員らが被害者岩橋英夫と福田組事務所前で口論し、刃物を奪いあう喧嘩に発展し、岩橋が負傷し、電車通でタクシーに乗つて現場を立ち去るまでの状況については、映画館高松日活の従業員中西芳子、同辻明子、右映画館にきた客の石井美弘がこれを目撃し、岩橋が刺された前後の模様について、中西芳子は、「私が劇場の表に出た時に、ふと私方裏側にある福田組の方を見ると、福田組の向(南)側にある寿屋のへいのところで、被告人中出と見知らぬ男の二人が柔道でもするかのようなかつこうで、中出は私の方に西向きに、相手の男は東向きになつて一メートル余りぐらいの間をおいて向い合つて立つており、福田組の事務所の前には福田組の人と思われる男が四、五人こちらを見て立つていた。その時、自転車を預けた客が改札の方にきたので、私も切符を受け取るために改札の方にもどり、すぐまた表に出ると、中出と相手の男は組み合つたりしながら、私方映画館事務所の南側まできた。その時に、中出の相手の大柄な男の胸のあたりから血が出ているのか、白色のカッターシャツの胸の部分がべつとりと赤く血でよごれていたが、中出ともみ合いながら電車道の方に出て行つた。」と供述し(同人の司法警察員に対する供述調書中一一四丁裏以下)、辻明子は、「バーシヤルムの前で杉田の寛やんは相手の男に突き倒され、そこの植木鉢を割つてしまつた。その時には、殺された男の白色のじゆばんの胸のあたりが血で赤くよごれていた。他の男らはその辺から引返したが、中出と的場とはしつこくくい下り、つかまえようとしていた。」と供述し(同人の司法警察員に対する供述調書一二八丁裏以下)、石井美弘は、「福田組親分と岩橋が、福田組事務所とバーシャルムの間にある倉庫の前で何か文句をいいながら向い合つていた。福田は素手であつたが、岩橋は右手に刺身包丁を握つていた。組員達は、五、六人事務所の前に立つて親分らの方を見ていた。親分と岩橋は何か言い合つていたが、突然岩橋が持つていた包丁で親分の腰から下の方に向けて二、三回突き刺していつた。その時は、親分も岩橋も、服などに血がついていなかつたように思うが、そのあと、岩橋が黄色のジユバンの男(のちに中出とわかる)に組みつかれて、電車道の方を向いた時から、岩橋の胸から腹のあたりに一面血で真赤になつていた。」(同人の司法警察員に対する供述調書六三七丁裏以下)、「岩橋が中出に羽がい締めされて、私の見ている方にやつてきた時、岩橋の右か左かわからないが、どちらかの乳附近ぐらいから下腹にかけてべつとりと血でよごれていた。また、中出も首筋のあたりに血が流れているのが見えた。岩橋と福田が向い合つていた時、岩橋のシヤツはまだ血で汚れていなかつたように思うので、岩橋が中出に羽がい締めされてから、シヤツを血でよごしたと思う。」(同人の検察官に対する供述調書一四〇丁以下)と供述しており、これらの供述は、被告人中出の自供する犯行前後の状況とおおむね符合し、又後に挙示する福田利正や、相被告人杉田忠生、同杉田寛一、同的場恒夫ら福田組関係者の供述と対照しても、被告人中出の自白と根本的にむじゆんする点はみられないのであつて、前記中西芳子、辻明子、石井美弘の供述は、後記の情況証拠と相まつて、被告人中出の自白を補強するものである。従つて、被告人中出の犯行を目撃したと供述する者がないことをもつて、同被告人の自白の信用性を疑う一資料とみる原判決の見解にも賛同できない。
前述のように、被告人中出は、一〇月三〇日初めて警察官に自己の犯行を認め、翌三一日検察官に対し、「岩橋を刺したのは杉田忠生だと述べてきたが、これはうそで、実は自分が岩橋を刺した。岩橋を親分のところへ連れてきてから口論となり、杉田忠生が岩橋を殴つたり、中村が包丁を買いに走つたり、的場が酒のびんで岩橋を殴つたり、岩橋が刺身包丁を一本取り上げたことまでは、今まで述べているとおり間違いない。岩橋が包丁を取つたので、杉田忠生、杉田寛一、中村と自分がその包丁を取り上げようとして岩橋にくらいついた。そのすきに的場が縁台の上にあつたもう一本の包丁を取つたので、寛一が自分に『的場の包丁を取れ』といつたので、自分はすぐ的場のところへ行つて『はなせ』といつたが、的場は包丁をよこさずに杉山方の前附近まで後ずさりしたので、その附近で自分が的場から包丁を取り上げた。そして、うしろを向くと、空家の前附近で、岩橋が親分を追つてきて、どこか刺したような様子であつた。それで、岩橋を引きとめようと思つてそばへかけ寄り、岩橋の横からくらいつこうとしたら、いきなり岩橋が包丁で自分の顔を切りつけた。そこで、自分もかつとなり岩橋の前に回り、元来左手利きであるので、左手に包丁を構えて、岩橋の右横腹を突き刺した。刃は上を向けていたか下を向けていたか覚えがない。相当深く刺さつた感じがあり、かなり手ごたえがあつた。岩橋は瞬間ぐらつとしたようであつた。自分は刺してから一旦シヤルムの方へ身を引き、それから自転車預り所の方へ行つたが、ふと見ると、岩橋がシヤルムの前附近に親分と寛一を追つてきて親分に突きかかろうとしていたので、自分は又親分がやられると思い、岩橋を引きとめるため岩橋の後から羽がい締めにした。そしてじりじり電車通の方へ羽がい締めにしたまま押して行つたが、相手も抵抗するし、電車通のところでもみ合つている時、自分が左手に持つていた刺身包丁が岩橋の左肩附近に突き刺さつた。しかし、これは刺そうと思つて刺したのではなく、後から羽がい締めしてもみ合つているひようしに突き刺さつたのである。」と供述し、原審第三回公判においてもこれにそう供述をしていたのである。ところが、同被告人は、原審第四回公判においてこれまでの自白をくつがえして以来、終始自己の犯行を否認しているのであるが、右第四回公判以後における同被告人の供述によつても、同被告人が岩橋の右下腹部や左上膊部を刺したことだけを否認するほか、右行為の前後における同被告人の行動に関する供述については、従来の自白の内容となんら異なるところがない。しかも、原審第四回公判調書中被告人中出の供述記載によれば、同被告人は、前記のように、被告人的場から刺身包丁を取り上げ、うしろを見ると、岩橋が福田にかかつて行こうとしていたので、これはいかんと思つて、岩橋のところにかけ寄り、とびかかつて行こうとしたとき、逆に岩橋からみけんを切りつけられ、倉庫のシヤツターのところに身体がぶつかり、映画館の方へ逃げるようにして下つたところ、まだ岩橋が福田に突きかかつているので、又岩橋のところにかけ寄り、同人の後から羽がい締めにして電車道まで出したと供述しているが、同被告人が、組長の急を救うため岩橋のところにとびかかつて行こうとしたのに、同人からみけんを切りつけられたにせよ、刺身包丁を手にしていた同被告人が岩橋に一矢をもむくいることなく、漫然その場から引き下つたというのは、同被告人が従来の自白中犯行に関する部分だけをひるがえしたことと合わせ考え、疑わざるをえない。
これに反し、原審および当審において取り調べたすべての証拠を調査して、被告人中出の自白を検討すると、その自白には信用性があり、かつ、これを補強するに足りる各般の情況証拠があると認められる。すなわち、(一)後記認定のように、福田組事務所前で岩橋英夫と福田利正とが口論中、被告人杉田忠生が手拳をもつて岩橋の顔面を殴打し、かつ、被告人的場が岩橋の後首附近を酒の空びんで殴りつけたため、岩橋は激昂して福田の腰かけていた長イスの上から刺身包丁一本を取り上げると、同人のまわりにいた被告人中出、同杉田寛一、同杉田忠生、中村勝己らは、岩橋から刺身包丁を奪い取ろうとして同人にかかつて行つたが結局失敗し、一方被告人的場恒夫は、長イスの上からもう一本の刺身包丁を取り上げ、福田組事務所の西方路上ではき物をぬいで喧嘩の準備をしていたが、被告人中出から右刺身包丁を取り上げられ、福田利正は長イスから立ち上つて岩橋の攻撃を避けようとして前記事務所の西側へ逃げたのであつて、右事務所附近で、岩橋が相手方の福田組側から刺された形跡は認められない。さきに引用した中西芳子、辻明子、石井美弘の各供述調書に原審第一三回公判調書中証人森田友敬の供述記載を総合すると、本件犯行場所は、福田組事務所の西方にある倉庫からバーシヤルムの前にかけての路上であり、その犯行時刻は、岩橋が福田を追いかけて同人を突き刺した前後から被告人中出がバーシヤルム前附近で岩橋を羽がい締めにしたころまでの間であると認められる。そこで、その間における福田組組長以下組員の行動を検討するのに、組長福田利正は、岩橋が被告人杉田忠生や同的場から手拳または酒の空びんで後首附近を殴りつけられたことに憤慨して、福田の腰かけていた長イスの上から刺身包丁一本を取り上げるや、身の危険を感じて逃げかけたが、福田組事務所の西側にある倉庫の前に追いつめられたので、覚悟して刺身包丁を持つている岩橋に体当りをすると、同人の身体が半回転し、刃物を持つた手が福田の背中を回つて右腎部を刺されたので、岩橋から刺身包丁を奪おうとして右包丁に左手をかけたところ、手をしごかれて左手母指を切られたので、福田組事務所向いの料理店「寿」の勝手口に逃げこんでおり(福田利正の司法警察員に対する一〇月二八日付供述調書、原審第四回公判調書中証人福田利正の供述記載、同証人の原審および当審各証人尋問調書、石井美弘の司法警察員、検察官に対する各供述調書、証人石井美弘の原審および当審各証人尋問調書、原審第一三回公判調書中証人森田友敬の供述記載、医師福岡昭雄作成の福田利正に対する診断書)、被告人杉田寛一は、岩橋が刺身包丁を取り上げた際、他の組員とともにこれを奪い返そうとして岩橋にかかつて行つたが、同人が刺身包丁をふりまわして暴れるので、一旦棒切れを捜しに福田組事務所の東側道路を前田酒店のところまで走り、再び事務所前に引き返したとき、岩橋が事務所西側の倉庫前で福田を刺身包丁で突きかかり、同人は手でこれをはねのけようとしながら、更に西側へ逃げると、岩橋はそのあとを追いかけたので、被告人杉田寛一は、福田を助けようとし同人のところへかけ寄つたところ、バーシヤルム前で植木鉢につまずいて転倒し、起き上つた時には、被告人中出が岩橋を羽がい締めにして電車道の方に向つて行つたのを見て、福田について料理店「寿」にはいり(被告人杉田寛一の司法警察員に対する一〇月二四日付、一〇月三一日付、検察官に対する一〇月三〇日付、一〇月三一日付各供述調書、辻明子の司法警察員、検察官に対する各供述調書、証人辻明子の原審証人尋問調書、医師川村政博作成の被告人杉田寛一に対する診断書)、福田利正や被告人杉田寛一が刃物を所持して岩橋にかかつて行つたことをうかがわせる証拠はない(石井美弘は、検察官に対し、福田が素手であつたことははつきり見ていると供述している。同人の検察官に対する供述調書一三九丁)。被告人的場恒夫は、岩橋が刺身包丁を取り上げるや、いち早くもう一本の刺身包丁を取り上げて西側に移動し、はき物をぬいで喧嘩に備えているところへ、被告人中出がきて同被告人に刺身包丁を取り上げられてしまつたので、喧嘩道具を捜すため電車通にある駿河屋菓子店にはいつたが見当らず、被告人中出と岩橋のまわりを右往左往し、最後に電車道において、被告人中出が放り出した刺身包丁を拾い、岩橋に投げつけたが、右刺身包丁が岩橋の身体に突き刺さつた証拠はない(被告人的場恒夫の司法警察員に対する一〇月三一日付((二通))、検察官に対する一〇月三一日各供述調書、原審第七回公判調書中被告人的場の供述記載、中西芳子、辻明子の前顕各供述調書および証人尋問調書、なお、石井美弘は、検察官に対し、刃物は岩橋に当つたが突き刺さりはしないではねかえつて道路に落ちたと供述している。同人の検察官に対する供述調書一四一丁裏)。被告人杉田忠生は、取調の当初、バーシヤルム前附近で岩橋の包丁を奪い取り、同人の腹部を刺した旨自供していたが、これは、後日捜査の結果、虚偽の自白であつたことが判明し、事実は、同被告人が、岩橋の取り上げた紙箱入りの刺身包丁を奪い返そうとして同人ともみ合つているうち、紙箱がつぶれ刺身包丁で右手拳に切創を負い、岩橋が抜き身で暴れるので岩橋のそばから逃れ、知人の栗生忠洋から塩をもらつて傷口につけ、福田組事務所にもどつて手を洗うなど喧嘩から脱落しており(被告人杉田忠生の司法警察員に対する一〇月二八日付、一〇月三一日付、一一月一日付、検察官に対する一〇月三一日付各供述調書、原審第三回公判調書中被告人杉田忠生の供述記載、栗生忠洋の司法巡査に対する一〇月一九日付、一〇月三〇日付各供述調書、証人栗生忠洋の原審証人尋問調書、野口峰代の司法巡査に対する供述調書、医師福岡昭雄作成の被告人杉田忠生に対する診断書)、中村勝己は、岩橋の取り上げた刺身包丁を奪い返そうとして、他の組員とともに同人にかかつて行つたが、同人が刺身包丁を振りまわして暴れたため、現場から逃げている(中村勝己の検察官に対する一〇月二六日付供述調書)のであつて、被告人杉田忠生や中村勝己が、刃物をもつて岩橋にかかつて行つたという証拠もない(石井美弘は、司法警察員に対する供述調書において、自分の見ていた範囲では、杉田忠生は岩橋に何も手出しをしていなかつたと供述している。六四〇丁裏)。右のように、犯行場所とみられる倉庫前からバーシヤルム前にかけての路上で、刃物を所持して岩橋に立ち向つて行つた者は、被告人中出を除いては何人もいないのであつて、同被告人には本件犯行の機会と可能性が十分にあつたと考えられる。(二)本件喧嘩の際に使用された凶器は、被告人杉田忠生が中村勝己に命じて二回にわたり附近の金物店から買わせた刺身包丁一本づつ計二本をおいて他にはないとみられ(司法巡査作成の一〇月一六日付、一〇月一九日付各捜査報告書((一八一丁および一八二丁))、原審第五回公判調書中証人木村温雄の供述記載一、一一九丁以下、なお、被告人杉田寛一、同的場恒夫は、本件当時の刃物は、中村勝己が買つてきた刺身包丁以外にはないと供述している。被告人杉田寛一の検察官に対する一一月六日付供述調書二五三丁、原審第七回公判調書中被告人的場恒夫の供述記載一、三九九丁)、そのうち一本の刺身包丁(証第一号)の柄には、福田利正の血液型と同様B型の血液が付着しており(技術吏員山本博幸作成の一一月四日付鑑定書、医師錫谷徹作成の一一月二六日付鑑定書)、この事実に、前認定のとおり、同人は、岩橋から刺身包丁で突きかかられようとした際、岩橋から刺身包丁を取り上げようとして右包丁に左手をかけたところ、手をしごかれて左手母指を切られた事実を合わせて考えると、岩橋は右証第一号の刺身包丁を持つていたものと推定することができ、従つて、被告人中出が岩橋にかかつて行つた時、同被告人が所持していた刺身包丁は、他の一本の刺身包丁(証第二号)であるとみられ、しかも、この刺身包丁には、平身部と柄の部分に、被告人中出および岩橋の血液型と同じO型の血液が付着していること(前顕山本博幸、錫谷徹作成の各鑑定書)および後記被害者の創傷の部位、程度、形状から、成傷用器は、巾三センチメートル、以上の鋭利な片刃の刃器であると推定され(医師花岡堅吉作成の鑑定書)、前記の刺身包丁は右推定の凶器の条件に適合していることなどに徴し、右刺身包丁を本件犯行に使用された凶器であると推定することは決して不合理であるとはいえない。(三)医師花岡堅吉作成の鑑定書によると、被害者の左上膊部には、その上部内側から二頭膊筋を貫き、外側肩峯下部に出た創口五センチメートル、出口四センチメートルの貫通創、その右下腹部には、右腸骨前上棘内側に斜前下方に向け創口三センチメートル、長さ一三センチメートルの刺創があり、右創縁は、いずれも上端尖鋭、下端鈍であることが認められ、右下腹部の刺創は、被告人中出が利き手である左手に刺身包丁をかまえて岩橋に突きかかつて行つた旨、又左上膊部の貫通創は、同被告人が刺身包丁を左手に持つたまま岩橋を羽がい締めた際にできた傷である旨の同被告人の自供に符合するものであり、殊に、証人花岡堅吉の当審証人尋問調書によると、右下腹部刺創の方向は、被害者の右腹から身体の内側に向つており、司法警察員作成の一一月一〇日付実況見分調書添付の写真第一一に見られる被告人中出が岩橋の腹部を刺した当時の状況を再現した姿勢と右創傷の方向とは一致し、左ききに特有の刺入方向を示しており、かりに、右手に刃物を持つて右腹部を刺したばあい、その創傷は、逆に身体の外側に向うのが自然であつて、無理な姿勢をとらない限り本件のような創傷を生ぜさせることはできないことおよび左上膊部の貫通創は、その創傷の形状から判断して前記実況見分調書添付の、被告人中出が左手に刃物を持つてうしろから岩橋を羽がい締めにしている状況を再現した第一五の写真のような姿勢の下で生じたものとみても、不自然ではないことが認められる。以上(一)ないし(三)の諸点に、被告人中出および被告人杉田忠生が拘置所に移監された当初のころ、被告人中出は、運動の時間中房内の被告人杉田忠生と金網越しに、看守の隙をうかがい言葉を交わした際、被告人杉田忠生に対し「たあちやん、すまなんだなあ」とあやまり、同被告人に「ほんまに中出お前やつたんか」と尋ねられ「僕がやつた」と答え、犯行を告白したと思われる言葉を洩らしている(原審第三回公判調書中被告人杉田忠生の、同第一三回公判調書中被告人中出の各供述記載)事実をも考慮にいれると、被告人中出の自白はこれを信用するに足り、かつ、前記各情況証拠は同被告人の自白を補強するに十分であると考えられる。もつとも、被告人中出は、原審第三回公判において、刺身包丁は逆手でなく、刃を下にして持つていたと供述しており(右第三回公判調書中同被告人の供述記載五一一丁)、右供述のように、同被告人が刺身包丁を持つていたとすると、前記のとおり、被害者の右下腹部刺創の創縁が上端尖鋭となつている点からみて、被害者の前から突き刺したばあいでき難い刺創であることは、原判決の指摘するとおりである。しかし、同被告人は、司法警察員に対する一〇月三〇日付供述調書では「左手で刃のところを前にして持つていた。」と供述し(四五二丁裏)、検察官に対する同月三一日付供述調書では「刃は上を向けていたか、下を向けていたか覚えない。」と供述し(四六一丁裏)、刺身包丁の持ち方に関する同被告人の供述は一貫していないのであつて、本件がとつさの間になされた犯行であるから、被害者を突き刺した時の刺身包丁の持ち方がどうであつたかというような点にいたるまで正確な供述を期待することは困難であることを考慮すると、この点に関する被告人中出の供述が動揺していることは、必ずしも同被告人の自白全般の信用性に影響するものとは解し難く、原審公判廷における同被告人の自白のうち、刺身包丁の持ち方についての供述が被害者の刺創の形状とくいちがつていることをとらえて、その自白全体の信用性を非難することは正当でない。
以上の次第で、被告人中出の自白は十分信用することができ、かつ、右自白を補強するに足りる情況証拠があり、これらの証拠によつて被告人中出に対する犯罪の証明は十分であるのに、原判決が、被告人中出の自白は信用できず、右自白を除いた他の証拠によつては被告人の犯行を認定できないと判断して、同被告人に対し無罪の言渡をしたのは、証拠の価値判断を誤り、ひいては事実を誤認したものであつて、破棄を免れない。被告人中出に関する論旨は理由がある。
(被告人杉田忠生関係)
前叙のとおり、被告人杉田忠生が、公訴事実記載のように、自分が岩橋を刺殺した犯人でないにかゝわらず、警察官に対しその犯人である旨虚偽の申立をしたことは、原審において取り調べた同被告人の司法警察員に対する各供述調書、原審第三回公判調書中同被告人の供述記載、同第一二回公判調書中証人大西俊一郎の供述記載により明らかであり、同被告人の司法警察員に対する一一月一日付、検察官に対する一〇月三一日付各供述調書によると、同被告人は、岩橋が刺された現場を目撃していないので、真犯人は誰であるのかはつきりしたことは知らないが、被告人的場が、最初に刺身包丁を取り上げ、福田組事務所の西方路上ではき物をぬいで喧嘩の準備をしていたことや、被告人中出が岩橋を羽がい締めにして電車道の方へ出て行くのを見たので、岩橋を刺したのは被告人中出、同的場のいずれかであると考えていたことが認められ、少くとも、被告人中出が犯人であるかも知れない旨の未必的認議をもつていたと考えられる。そして、被告人中出が本件殺人の真犯人であることは、前段認定のとおりである。従つて、被告人杉田忠生が、前記のような認議をもちながら、あえて警察官に対し、自分が岩橋刺殺の犯人である旨虚偽の申告をして犯罪の捜査を妨害した以上、犯人隠避罪の成立を免れることはできない。原判決は、この点においても事実を誤認した違法があるから、被告人杉田忠生に関する論旨は理由がある。
(被告人杉田寛一関係)
被告人杉田寛一が公訴事実記載のように、長男である被告人杉田忠生に対し、岩橋を刺殺した犯人として自首するよう命じた結果、同被告人が前認定のとおり、警察官に虚偽の申告をしたことは、被告人杉田忠生、同杉田寛一の司法警察員、検察官に対する各供述調書によつて明白であるが、原審において取り調べたすべての証拠を精査し、かつ当審における事実取調の結果をも加えて詳細に検討しても、被告人杉田寛一が、被告人杉田忠生に対し、警察官に自首を命じた当時において、岩橋刺殺の犯人が被告人中出であることを認識していた事実を肯定することができないのみならず、被告人杉田寛一の検察官に対する一〇月三〇日付、一〇月三一日付各供述調書、同被告人の原審および当審各公判廷における供述によると、被告人杉田寛一は、事件当日の夕方、松浪江美子方二階において、福田組の本家筋にあたる松田組の親分の在席している前で、参集した被告人中出、同的場、杉田忠生に対し、誰が手を下したのか尋ねたところ、被告人的場は、岩橋に包丁を投げたが当らなかつたと言い、被告人中出は、岩橋をうしろから羽がい締めにしただけであると言い、いずれも犯行を否定しているのに、被告人忠生のみは、黙つており、しかも手を負傷していたので、あるいは同被告人が犯人であるかも知れないと疑いながらも、松田組親分の手前や被告人忠生の父としての立場上、同被告人に問いただすこともできず、被告人忠生が犯人であることについては半信半疑のまま、同被告に自首を命じたことが認められ、結局被告人寛一には犯人隠避教唆の犯意がなかつたものと考えられる。それ故、原判決が、被告人寛一に対する犯人隠避教唆罪の成立を否定したのは、結論において正当であるから、同被告人に関する論旨は理由がない。
黒川弁護人の控訴趣意について。
論旨は、被告人的場に対する原判決の量刑は不当に重いと主張するので、記録を調査し同被告人の情状について検討するのに、被害者岩橋英夫が、競輪のみ行為の払戻金のことで福田組長福田利正と口論中、同組員の被告人杉田忠生が、右岩橋に対し「親分に対し口一杯なことを言うな。」と言つて同人の顔面を殴打した後、被告人的場は、更に同人の後首附近を五合入りの酒の空びんで殴りつけたので、これに激昂した岩橋が刺身包丁を取り上げ、喧嘩となり、ついに本件殺人に発展したもので、被告人的場の右暴行が喧嘩を誘発した一因とみられる点において、同被告人の刑事責任は軽視できないのであつて、同被告人に対して刑の執行を猶予することは相当でないが、本件犯行は、被告人的場が被害者の福田組長に対するごうまんな態度や被告人杉田忠生の暴行に刺激されたとみられること、その犯行も被害者の後首附近を酒の空びんで一回殴りつけた程度の暴行であることなど本件犯行の動機、態様、罪質その他諸般の事情を参酌すると、原判決が被告人を懲役八月に処したのは、その量刑が重過ぎると考えられるから、右論旨は理由がある。
よつて、検察官の被告人杉田寛一に対する控訴は、その理由がないので、刑事訴訟法第三九六条によりこれを棄却し、原判決のうち、被告人中出、同杉田忠生に関する部分については、同法第三九七条第一項、第三八二条により、被告人的場に関する部分については、同法第三九七条第一項、第三八一条によりそれぞれ破棄し、同法第四〇〇条但書により、当裁判所において更に判決する。
(被告人中出順一の犯罪事実)
被告人中出は、福田組員であるが、同組において、和歌山市字須三八一番地の福田組事務所を本拠として競輪ののみ行為を始めたところ、昭和三八年一〇月一二日、もと同組員であつた岩橋英夫(当三一年)が、仲間と通謀し、西宮競輪が番付面の時刻よりも数分早く発走することが例となつていたのを利用し、電話通報により投票締切直前に一四〇口の大量投票をしたため、福田組において合計二二万四、〇〇〇円を支払わなければならないことになつたので、福田組側では、岩橋が恩義にそむいて俗にヤリと称するのみ屋荒しをやつたものに相違ないと考えて一同立腹し、同日午後一時四〇分ごろ、岩橋を前記福田組事務所へ呼びつけ、同所前路上において、組長福田利正、舎弟杉田寛一、その子忠生、的場恒夫、中村勝己および被告人中出らの組員が岩橋を取り囲み、談判を始めたが、岩橋が、勝つた金はあくまでももらうと主張して譲らないため、激論となり、憤激した相被告人杉田忠生が、手拳をもつて岩橋の顔面を一回殴打し、次いで相被告人的場恒夫が、五合入り酒の空びんで岩橋の後首附近を一回殴打したため、岩橋も憤激して喧嘩闘争となり、岩橋が、その時組長福田の腰かけていた長イスの上に置いてあつた刺身包丁二本のうち一本を取りあげ、それを取りもどそうとする福田組員を振り切り、西の方へ逃げかけた福田のあとを追い、前記事務所西側の倉庫前路上で同人を突き刺したので、被告人中出は、その直前的場恒夫から取り上げた刺身包丁を手にして、岩橋のところにかけ寄つたところ、かえつて同人からみけんに切りつけられたので、これに憤激し、殺意をもつて、前記刺身包丁で同人の右下腹部を突き刺し、よつて同人を、同日午後七時ごろ、同市和歌浦三七七番地岩橋計夫方において、右下腹部刺創による右腎切損腹腔内出血により死亡させて、殺害したものである。
(被告人杉田忠生の犯罪事実)
原判示第一(一)および第三の事実のほか、
被告人杉田忠生は、中出順一が、昭和三八年一〇月一二日、和歌山市字須三八一番地福田組事務所の西側路上において、岩橋英夫を刺身包丁で突き刺して殺害した事件について、中出順一が右事件の犯人であるかも知れないことを認識しながら、同日和歌山市西警察署において、同署司法警察員大西俊一郎に対し、自己が岩橋を殺害した犯人である旨虚偽の事実を申し立て、犯人中出順一を隠避したものである。
との事実を加える。
(証拠の標目)(略)
(法令の適用)
被告人中出の行為は、刑法第一九九条にあたるので、所定刑中有期懲役刑を選択したうえで、同被告人を懲役七年に処し、未決勾留日数の算入につき同法第二一条、原審および当審における訴訟費用の負担の免除につき刑事訴訟法第一八一条第一項但書を適用する。
被告人杉田忠生の判示行為中、暴行の点は刑法第二〇八条、犯人隠避の点は同法第一〇三条(以上いずれも罰金等臨時措置法第二条、第三条をも適用する)、道路交通法違反の点は同法第六四条、第一一八条第一項第一号にあたるので、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条、第一〇条、刑法施行法第三条第三項により犯情の重い暴行罪の刑に法定の加重をしたうえで、同被告人を懲役八月に処し、未決勾留日数の算入につき刑法第二一条を適用する。
被告人的場については、原判決の認定した事実にその挙示する各法条を適用して、同被告人を懲役五月に処する。
(裁判官 山崎薫 竹沢喜代治 浅野芳朗)